現実的で具体的で言葉にできる野心を持とう
「お前は欲がないからなあ」
高校生の時との担任に言われたことがある。
もっと欲を持てという意味合いで言われたのだと思うけれど、わたしには「???」だった。
だって、わたし欲の塊みたいなものなのに。
こいつ、本当に人を見る目がねえなあ。
自分の貪欲さにドン引きして、最近はシンプルイズベストな生活を目指して、断捨離とかに精を出しているのだけれど、わたしの中の「野心」はなくならないのである。
確かに、ブランド物が欲しいといった物欲とか出世欲は、ゼロに近い。でもこれって、わたしが特別なのではなくて、世代的に、なんじゃないのかな。わたしは、普通、だと思う。周りにいる人たちも、わかりやすい欲望(金、車、女w)を出している人、いない。
わたしの中の野心は、有名になりたいとか、そういったものではない。地味に生きていきたいし、人前で何かしたくないし、ひっそり山小屋みたいなところで生きていきたい。あれ、野心なくね・・・?
わたしは、すっごく幸せになりたいんだよね。
まあこんな人生もありかな、とか。まあまあな人生を送りたくない。
もうね、超幸せになりたい。
でもそれは、人から羨望されたいとか、名声を得たいとかではなくて。
自分が、超超超幸せになりたいと思っている自分が、納得することができる幸せを得たいのですよ。
でもさ、幸せって人それぞれな訳じゃないですか。ふわふわな概念じゃないですか。
幸せってなに?って感じなんですよ。ずっと毎日考えてるよ。哲学者だよ。
すごく難しいなって思うんです。自分にとっての幸せを見つけることって、まあそれが人生なんですけど、果てしないんですよね。わかりますかね。
わたしは今でも幸せだと思うんですよね。でも、超幸せではないんですよ。
結婚すれば、子供を産めば、お金持ちになれば、有名になれば、幸せになれるんですか? そんなもの、なってみなくちゃわからないけど・・・・。
多分ね、今わたしは、欲しいものがわからないんだと思うんですよ。
幸せになりたいっていうのは、抽象的な野心なんですね。
具体性というものが、わたしに足りないものなんだと思う。
昔はね、「友達が欲しい」っていう具体的ででっかい目標があって、それが叶ったとき、本当に幸せだった。もう何もいらんと思ってた。
でも欲深いわたしはそれだけでは足りなくなってくる。さらなる充足が欲しい。
具体的でわかりやすい野心が、必要なんだってことですね。
よくわかんないから、「お金」にしてみましょうか。
お金を手に入れるには、どうしたらいいか?と、考えると現実的で、すごく具体的な道が見えてきます。
いつか幸せについての自分なりの解答を、見つけられたらいいのだけれど。
したっけね〜〜。